ジュリアン・ドール
店の中には、沢山のパンが並べられた棚がある。


本当にいい匂いだ。懐かしい・・・。


ハーリーは、大きく息を吸い込み、胸いっぱいにその香りを頬張った。


まだ新しいパン屋の窓際には、テーブルが幾つか用意され、その上にはポットとティーカップが置かれている。

ポットの口は、白く馨わしい湯気を吐き出し、ティーカップに注がれるのを、今か今かと待ち望んでいる。



昼時には、客がそこでくつろぎながら、パンを食べることができるようにテーブルが置かれ、紅茶は、そこでパンを食べる人の為に、サービスで用意されている物だ。



「毎月、丁度この時期になると、ハーリー、あんたみたいな給料日前で腹を空かせてる奴が多いのさ」


そう言いながら、メアリーはきれいに洗った水に濡れた手を、腰に巻いたエプロンで拭きながら、厨房から戻ってきた。


「図星だよ、メアリー。昨日から食事も碌に取っていない。お腹がぺこぺこさ」


言葉通り美味そうなパンの香りに刺激され、煩く鳴り出して止まない腹の虫を気にするように、腹部を押えつけるハーリーを見て、メアリーは笑った。


「苦しい時はハーリー、いつでもいらっしゃいな。安くするよ。この店がこんなに繁盛したのも、こうして、繁華街に店を出せたのも、みんなあんたのお陰だからね」


メアリーは感謝の気持ちを込めて、そう言うが、ハーリーはそれを否定した。


「それは違いますよ、メアリー。ここのパンの味が、心がこもっていて美味しいから、皆がそれを食べたいと思って来るのです。誰のお陰でもありませんよ」

「そりゃあ、パンの味はどこにも負けないつもりさ。自信はある。だけど、どんなに美味しくても、宣伝の力は絶大さ。ハーリーの口利きで、あの“舞踏会”のレストランのメニューに使ってもらえたんだからね」


 メアリーは、ビニールの手袋を嵌め、肘に籠を抱えて、パンの並べている棚へ歩いていった。


「“舞踏会”でも、メアリーのパンは、大評判さ。残り物しか頂けない、わたくし逹使用人は、なかなかメアリーのパンに有り付けない」

「全く、有難い話だよ」


メアリーは笑いながら、籠の中にパンを入れている。



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