遠い坂道
「あの……荒木君って……一昨年、交通事故にあったりしなかった?」
思い切って訊いてみると、ゆらりと荒木君が視線を上げる。
「…………どうして知ってるんだ」
「あ、いや……」
助かって良かったね、と声をかけようとしていたのだが、荒木君を取り巻く空気が不穏なものに変化しため、言葉が続かない。
彼の目が鋭くなった。
「……大方、他の教師から聞いたんだろ」
「ちが――」
「そういうの、お節介って言うんだ。『大変だったね』? 『助かって良かったね』? ……ウゼェ。同情染みた言葉、こちとら望んじゃいねぇんだよ」
しまった。
地雷を踏んでしまった。
荒木君はあの事故のことを言ってほしくなかったのだろう。
なのに、私は無神経にも聞いてしまったのだ。怒らせる意図はなかったにしても、不快にさせてしまったことに変わりはない。謝らなければ……。
「ご、ごめんなさ――って、ちょっと待って!」
私が謝りきる前に、荒木君はすっくと立ち上がってカバンを手に持つ。
「離せっ」
肩に手をかけた私を振り切ろうと荒木君は左腕を回そうとし――。
「――――…………っ」
いきなり蹲った。
「大丈夫……?」
声をかけても返答はない。彼のこめかみには脂汗が伝っている。顔面蒼白だ。
「…………うっせぇ」
荒木君は右手で左腕を押さえながら、去って行く。
私は追いかけることも出来ず、ただ茫然と彼の背中を見送っていた。
その背中は全てを拒絶しているように見えた。高校の向かい側にあるテニスコートから、笑い声が聞こえる。それがとても遠いもののように感じた。
――荒木君には何かある。
私はそう確信した。