遠い坂道
折角のご飯だというのに、何の味もしない。笹木先生から聞いた話を考えていたせいだ。
私はフォークでプチトマトを突き刺す。盛大に汁が飛んだ。
「やばっ」
慌ててハンカチでスーツの胸元に飛び散ったプチトマトの汁を拭った。
この醜態を目撃した者はいない。
ここには私しかいないのだから。
殺風景な室内である。
入り口の前には中の様子が見えないように大きな衝立(ついたて)が置かれており、教室内には私が弁当を広げている四角いテーブル一つに四つの椅子しかない。
壁際には本がびっしりと並べてあるが、殺風景なことに変わりないだろう。
第二校舎の一階すみに、三年くらい前に増築された真新しい教室がある。
入り口には『相談コーナー』の札がかかっていた。……ここのことだ。
その名のとおり、生徒達が勉強や人間関係の悩みを相談する場として設置された。
本来ならば、心理カウンセラーを常駐させるのが筋だろうが、何故か私が担当している。
去年までは福井先生という生物教師が担当だった。
しかし、彼は外国へ見聞を広げにいくと言って学校を辞職してしまったのである。
そのため、福井先生以外で唯一部活動顧問を受け持っていない私に白羽の矢が立ったのだ。
悩み相談を受けるため、私は昼休みと放課後、そして担当の授業が入っていない時はほぼここにいなければならない。
昼食くらいは食堂で摂ってもいいと他の先生達は言ってくれたが、引き受けた仕事はちゃんとやりたいと思って、いつ生徒が来ても大丈夫なように相談コーナーで食事を摂ることに決めた。
黙々と弁当を食べる。
「てか、誰も来ないし」
独り言が虚しく響いた。
もともと、相談コーナーに寄りつく生徒は少ないと聞く。
皆、教師になど相談しない。進路の相談相手には担任がいるだろうし、人間関係の捻じれを相談したところで、教師の力でどうにかなんてならないと思っている生徒がほとんどなのだ。
私も、そうだった。
教師になど頼ろうと考えたことなどなかった。だから、相談コーナーに誰も来ないのは当然だと思っている。