遠い坂道
「ど、どうしてここに……?」
「別に。……福井は?」
「遅刻してきたんなら、一旦、職員室で――」
「めんどくせぇ」
私の言葉を遮ると、荒木君は許可も取らずにテーブル上へカバンを放った。
どうやら彼は、私が相談コーナーの担当になったことを知らないらしい。
去年海外へ旅立った福井先生がいるものと思っていたのだろう。キョロキョロと視線を彷徨わせている。
「福井先生は、去年海外へ発たれたよ」
教えてあげると、荒木君はチッと舌打ちした。
おいおい、教えてやったんだから「どうも」くらい言うべきでしょう。
気まずい空気が垂れこめる相談コーナーに、昼休みの終わりを告げるチャイムの音が鳴り響いた。
「…………」
「…………」
教室を出て行くものと思ったが、荒木君は無言でイスに腰掛けるとカバンの中身を取り出し始める。
「授業は――」
「ここで勉強する。それでいいだろ」
いいわけあるか。
そう思ったが、賢明にも口には出さなかった。
……しっかし、生意気そうな横顔である。子供と大人の境界線に立つ少年独特の危うさを感じる。このアングル、友美子あたりが喜んで食い付きそうだ。
とりとめもないことを考えながら、私は教科書を開く荒木君を観察していた。
五時間目に受け持ちの授業が入っていれば、この息苦しい空間から抜け出す言い訳が出来たのだが、残念ながら授業の予定は入っていない。
荒木君はそんな私を気にするでもなく、古典の原文をノートに書き写し始めた。対訳する気なのだろう。
私は残っていた弁当のおかずを口に運びつつ、読みかけの本のページを開いた。