遠い坂道
ハッと気付いた時には、七時間目終了のチャイムが鳴り終わったところだった。
私は伸びをしながら、パイプイスに寄りかかった。
「次、どの教科をやる?」
それにしても、ノートにびっしりと詰まった文字は驚くほど震えている。ミミズの這った跡のような文字だ。
「数学を……――――あっ」
荒木君がクルクルと回転させていたシャーペンが床に落ちる。咄嗟に彼は左腕を伸ばすが、指先はシャーペンに届かない。
荒木君はぐっと下唇を噛みしめ、左腕を押さえて俯いた。
「ちくしょう……」
空気の入れ替えを兼ねて少しだけ開けていた窓から吹き込んだ風で、彼のノートが捲れる。大きく飛びそうになるノートを私はキャッチした。
目に飛び込んできたのは、荒木君の字とは思えない綺麗な文字。ノートの最初の方は、綺麗な字を書けているようだった。
私がその事実に気付いたことを悟ったのだろう。荒木君は顔をしかめた。
「…………事故に遭う前までは、左利きだったんだ」
それは、事故に遭遇したせいで左手がうまく使えないことを暗に示していて。
事故現場で、荒木君が必死になって私に訴えてきたことを思い出した。
『ひ……だりうで。うごかな……』
かすれた声で必死に訴えてくる少年を前に、私は何と言っただろう。大丈夫、などと無神経な言葉をかけなかっただろうか。
唇を引き結ぶ。
彼が遭遇した事故を目撃したことは言えなかった。小さな罪悪感を覚えたためだ。何も悪いことはしていないが、居た堪れない。
思わず、謝りたくなる。しかし、謝罪をすることは寸でのところで思いとどまった。彼はそんなことを望んでいない。
かわりに私は笑顔を取り繕った。
「すごいね」