ゴハンの上にマネヨーズ
ミヤシタは楽器を弾くことが全く出来なかったがロックに詳しく、オアシスとかレディオヘッドとか、プライマルスクリームといったアーティストは、全てミヤシタから教えてもらった。

 僕らはよくミヤシタの部屋で、CDを大音量でかけて缶ビールを飲みながら踊りまくったが、隣の部屋の夏みかんが服を着たような、残念な女子大生から、壁を良く叩かれた。

 その度にミヤシタは、
「あいつのマンコをいじったらクラシックの音が聞こえるんちゃうか」
と言って、CDラジカセの音量を上げるのだった。


 大学を卒業後、ミヤシタは、今度こそ浪人することなくコピー機の製造販売会社に就職が決まり、僕は製油会社に就職することになった。

 僕はオオサカの本社に勤めることになったが、ミヤシタはヒメジの支社が初任地となった。

 当然、溜まり場と化していた大学近くのミヤシタの部屋は引き払われ、大学を卒業した年の3月、ミヤシタはヒメジへ行った。

 僕と同じように、ミヤシタの部屋に溜まっていたクラハシやノリヒサ、トモやんも、田舎に帰ったり、仕事で各地へ散った。

 実際、仕事は忙しかった。

しかし、その気になれば会うことだって可能だった。

でも、相手より先に再会を望むことは、負けだった。

何がどう負けなのかはうまく言えないが、一般的に負けることは不快なことだ。そして何かを失うことだ。

 それに仕事に追われるだけの、今の自分を見せるのも嫌だった。

 そのうち、連絡をとること自体が億劫になり、ミヤシタや他の連中からも連絡は来なかった。

なんとなく時間だけが流れ、大学卒業以来、顔を合わせることすらしていなかった。
 
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