桜雨
当主の「思」い、父の「想」い
その屋敷の中で、最も広く、最も立派な部屋に、その人はいた。
「入れ」
ドアのノック音とともに、彼は低い声でそう言葉を投げかける。
すると、おそるおそる、ドアが開かれる。
「ご主人様、御用でございましょうか」
そこに居たのは、タマだった。
「幸枝の様子は、どうだ」
彼は、眉間にしわを寄せ、
大きな机の上に山積みに積まれた冊子らしき何かを1つ1つ見ては、
別の山に移している。
「今は落ち着いているご様子でございます。
医師に見せるまでも無いものかと」
「そうか」
彼は相変わらず渋い顔のまま、同じ作業を繰り返していく。
「・・・しかし」
彼はそう言いかけて、手を休めた。
「まぁ、いい。次の機会にでも会わせるとしよう」
再び彼は、大きな山の頂上にある、1冊の何かを手に取り、
広げ、別の山へと移す。
「旦那様、何をなさっていらっしゃるのですか?」
タマが尋ねると、彼、山内家の当主は顔を上げずにただ声を出した。
「幸花のお見合い相手を決めている。幸花にふさわしい学者を探しているのだが」
タマは、何も言わない。
女中が、仕えるべき主人に意見を言うものではない。
ただ、幸花にふさわしい「伴侶」ではなく、「学者」という表現が、
まるで喉に引っかかった魚の小骨のように、
しつこく胸にひっかかっていた。
もっとも、タマはただ微笑んだまま、主人が退室するよう命ずるのを、
その場で待つだけであった。