桜雨
藤條朔、この名前も、山内家には勝ることは無かったが、
それなりに有名だった。
藤條家は、代々男子は医師になる者として育てられる。
彼の父も、その父も、
一度は独逸へ留学し、医学を学んでおり、
帰国すれば、軍医であったり、大学で研究するなどして、
その名をはせてきた。
彼自身も例外ではなく、
去年まで独逸の大学で医学を学んでいた。
そして、今は大学の医学教室へ戻ったが、
臨床経験が少ないと指導教授に諭されたため、渋々臨床医師として働く毎日である。
経歴だけ聞くと非常に華々しいが、
藤條家の人間関係は、極めて淡白で、冷たいものだった。
執事の内山は、
藤條家に仕えること8年、
前当主が存命だった3年前まで、
今一度も藤條家の前当主と、自分の主人である藤條朔が、
一緒に食事をするなどしたところを見たことが無い。
それに、藤條家の人々は、非常に打算的だった。
行動指針は、自分に利益になるか否か。
非常に単純ではあるものの、そこに情が差し挟まれることは無い。
今回、山内家から結婚の打診が来た時、
当主である藤條朔は、二つ返事で答えたのだった。
もちろん、それが自分に利益になると判断したから。
内山には、薄々とだが、その利益が何なのかも、見えてはいた。
山内家にあって、藤條家にはないもの。
それは、名誉と財と地位だった。