僕達は生かされている。
存在理由
死にたがり達がよく口にする言葉がある。
「自分なんていてもいなくても変わらない」
「自分なんていない方がいい」
「自分が生きてる意味がわからない」
存在理由がないから、自殺する。そういったパターンだ。
こういった考えは、あまり単品で突発的に出てくる考えではなく、様々な体験や、もともとあった死にたいという願望の理由付けに出てくる考えであるケースが多い。
私も、自分の存在理由という物を考えてみた事がある。
私はまず、自分の死後の世界を想像してみた。
友人達は泣いてくれるだろうか、厳格な祖父母は涙は流さないだろうが、悲しんでくれるだろうか、私がいなくなる事で、不便はないだろうかなど、色々な事を考えた。
結果、
もし仮に今私が死んだとして、数名の友人達は少なからず泣いてくれるだろうと予想した。しかし、悲しみというものは永遠に持続するものではない。
自分を思い出した時、少し涙腺は緩むかもしれないが、時がたてば悲しみは薄らぎ、私がいないという違和感もなくなってゆく。そして、私を思い出す頻度も減ってゆき、私という存在が希薄なものになる。
それはどうしようもない人間の仕組みで、それがあるから個人差はあるが私達は悲しみに縛られる事なく生きていける。
つまり、多かれ少なかれ、ある程度の時がたてば、私という存在はほぼ消え去る。
その時、現世の人達は何事もなかったかのように、自然に平凡な毎日を送ってゆくだろう。
そう考えると、人間の存在意義というのはほぼ皆無である。
確かに、ある程度支障があるケースもある。