「非機械式トワイライト」
1
紺野小百合は、渋谷駅で山沖博士と待ち合わせをしていたとき、ふと今日がバレンタインデーであることに気がついた。
チョコレートというものもしばらく食べていない。原材料であるカカオが日本国内でほとんど手に入らないのだから、仕方ないか。
と思った。
小百合が学生の頃は2月になれば街が一大イベントであるかのように、バレンタインデー一色になり、あちらこちらで色んなチョコレートを販売していたものだが、10年前からそんな気配はとんと無くなった。
チョコレートというものもしばらく食べていない。原材料であるカカオが日本国内でほとんど手に入らないのだから、仕方ないか。
と思った。
小百合が学生の頃は2月になれば街が一大イベントであるかのように、バレンタインデー一色になり、あちらこちらで色んなチョコレートを販売していたものだが、10年前からそんな気配はとんと無くなった。
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まず、この題名である隔絶と、密室は同義語ではないか?
そもそも密室というものは外部と隔絶されているからこそ"密室"と呼ぶのであって、外部と隔絶されていなかったらそれは密室とは呼べない。だから、それはある意味当然のことであって、隔絶する密室とは"頭痛が痛い"とか"馬から落馬"といった二重表現になっていると思った方。その意見は正しい。しかし二重表現が常に語法であるとは言えないという意見もある。ことばというのは表現方法であるから、それは一種の生き物であって、時代とともに変化することもあるし、またその単語を強調するために意味が重複する単語を使用するという場合もあるという。
ただ、書き言葉にわざわざ二重表現を使用するのはいかがなものか。というのは最もな意見だ。そもそも、隔絶する密室ってなにを強調したいのかいま一つ意味が理解できない気もする。密室をさらに強調するとしたら"誰もは入れない密室"であるとか"鍵のない密室"であるなら、それは正しい二重表現であると言えるかもしれない。隔絶された密室では、二重表現であってもあまり適切であるとは言えない表現だと思われるわけである。
そう考えると、世の中は矛盾と撞着に溢れている。くだらない小説のタイトルひとつ取ったところでこの矛盾である。辻褄が合わないことなんていうものは身近に溢れ返っているのだ。だから皆さん。小説のタイトルひとつでそんなに目くじらを立てずに寛容な気持で読んでみてください。
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ACT 1
"犯罪とは、発覚しなければ犯罪と認定されない"
9月の蒸し暑さは中頃を過ぎてもサウナのようである。
それがもし天井裏であったとしたら、それはもう殺人的と言わざるを得ない。
筧忍(かけいしのぶ)の腕時計が午後22時を指している。
アラームは正確で、浅い眠りからも醒めていた。
「そろそろかな」
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****二度とは戻らない季節****
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