この歌は君だけに
 「え…?」
 目を白黒させながら腕の先を辿ると、まっすぐにこちらを見据える小林さんと目が合う。
 目は真剣だが、口の端には先程見せたような悪戯っぽい笑みを浮かべてる。
 「えっと…まだ何か…?」
 真っ直ぐ過ぎる瞳から視線をずらしながら聞くと、彼女は微笑んだ形のまま口を開く。
 「美沙は私の親友で、美沙にとってあなたは王子様みたいな存在なんです。意味…分かりますよね?」

 心臓が鷲掴みされたようにギュッと縮んだ、気がした。
 「買い被らないで下さいよ…」
 我ながら情けない声が出る。
 「王子様」なんて、買い被り以外の何物でもない。
 俺は逃げたのだ。
 弱い人間なんだ。

 しかし、そんな俺に小林さんが真っ直ぐな瞳で語り続ける。
 「美沙は…大人しくって、いつもニコニコして周りに合わせてあげるような、優しい子なんです。そんな美沙が、唯一譲らないこと、声を大にして主張すること、なんだか分かります?」
 小林さんの問いかけに俺は小さく首を振る。
 嘘だ。本当は分かっている。
 彼女の答えを、彼女がこれから語る事柄を。
 ただ、それを思い知りたくないだけだ…

 「あなたですよ、『マキ様』」
 そう、彼女の口から溢れた想像通りの言葉。
 長く呼ばれなかった、もう一つの俺の名前。
 10年以上眠っていたのに、今夜だけで二度目だ。

 俺の中に眠っていた『マキ』が、ごろりと寝返りを打つ。
 同時に沸き出る、奴の夢から洩れ出た記憶の残滓――。

< 10 / 13 >

この作品をシェア

pagetop