この歌は君だけに
 「なぁ真野、お前もそう思うよなぁ?」
 そういきなり話を振られて、彼女達の声に聞き耳を立てようとしていた自分に気付く。
 前に向き直ると大分焦点が怪しくなってきた同僚が笑いながらこっちを見ている。

 「ああ、そうだな。」
 曖昧にそう頷いてやるとそれだけで満足したのか、また二人で盛り上がり始める。

 しかし、裏の客の勢いも負けていない。
 「マキ様はねっ、あんな男とは全っ然!比べ物にならない位紳士的なの!あんな奴と違って歌も猛烈に上手いしっ!ファンも大事にしたのっ真面目な人だったの!最高なの!」
 そう、喚き散らしている。

 「…だが君が賞賛する男はそれで身を滅ぼしたんだぜ…」
 同僚の関心がこちらに向けられていないのを良いことに、人知れずぽつりとそう漏らす。

 彼女の言葉の1つ1つに耳が痛かった。
 高い大きな声が原因かと言われればそれもそうかも知れないが、彼女が理想として掲げる「マキ」という男が、実は後ろの席で同僚の晩酌に付き合わされているのだという事実にどうにも心が傷んだ。

 「マキ様はあんな所で舞台を降りる器じゃなかったもん……」
 衝立に凭れているのだろうか 衝立越しに、まるで直接語りかけられているように彼女の声が響く。

 もう、限界だ……。

 そう思いとっさに立ち上がった。
 「あれぇ、春樹さん便所っすかぁ?」
 「いや…悪いが帰らせてくれ。」
 「なんだとぅ?付き合い悪いぞ真野ぉ!」
 二人揃えて目出度く俺のフルネームが公表された。
 恨めしく思っても二人とも普段の呼び方で少し大声で呼んでしまっただけだ、仕方無い。
 「悪いな。」
 そう短く言うと財布から千円札を数枚、テーブルの上に置くと慌ただしく座敷を降りた。

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