この歌は君だけに
 「すぐ戻ります。」
 そう断って助手席を降りて後部座席へ。
 小林さんに手伝ってもらって相羽さんを抱き抱える。
 外気に触れて少し身じろいだが、起きる気配はない。
 一体どれだけ飲んだのだろうか。
 小林さんが車を降りるとタクシーの扉が自動で閉まり、エンジン音が止んだ。
 運転手に軽く会釈して俺達はアパートへ向かった。

 エントランス前で小林さんが管理人らしい男性に事情を説明してくれる。
 男は何か小言のような事を言ったが眠りこける相羽さんを見て、俺になるべくすぐ帰るようにと釘を刺した。
 二人で頭を下げ、小林さんが先導して中へ進む。
 「厳しいんですね…」
 一軒家暮らしの俺がそう呟くと、「女の独り暮らしですから」と肩をすくめられる。
 今更ながら、来て良かったのかと少し怖じ気づいたが、気にする風もなく歩を進める小林さんの背中に、観念して足を踏み入れた。

 エントランスホールの突き当たりからエレベーターに乗り込む。
 腕の中の彼女はまだ目を覚まさない。
 動かず一定の高さを保つ事に腕が弱音を吐き出した頃、ようやくドアが開く。

 「こっちです。」
 エレベーターホールを抜けると廊下が少し狭くなり、相羽さんが怪我しないよう体を斜めにしながら歩くので自然と速度が遅くなる。
 小林さんがドアを開いたまま待ってくれていた部屋に体を滑り込ませ、ようやくほっと一息ついた。
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