雪割草
 男は視線を自分のつま先ぐらいに戻し、浅く溜め息を吐いた。

「私は昨日……。

長年の夢を叶えました。

他の人からすれば、他愛もない事かもしれません……。

しかし、自分にとっては、すごく勇気のいる事だったんです……。」

 昨日の雨が作って逝った水たまりが、キラキラと光っていた。

シローは何も言わず、男の話に耳を傾けていた。

「私は昨日の朝、妻から離婚届を渡されました。

多分、自分が仕事を辞めてしまうのが、原因の一つだと思います。

私は書類に捺印すると、いつものように仕事に出掛けました。

いつもの時間に……。

いつもの満員電車に揺られて……。

途中、一回だけ乗り換えがあります。

私が乗り込む、都心へ向かう電車は相変わらず満員でした。

しかし、反対側のプラットフォームはいつものようにガラガラなんです。

私はずっと思っていました。

゛もし、反対側の電車に乗り込み、自由に知らない土地を旅して歩けたなら、どんなに素晴らしいだろう……。゛

それがーー私のささやかな夢でした。

私は昨日の朝、ついにそれを実行に移したんです……。

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