あなたには何人の母親がいますか?
一人目の母親
1988年5月18日
私は東京で、この世に生まれた。
―――「生まれて来てよかったのだろうか」
そう思いながら生きていく日々は、あまり遠くない。
私をこの世に誕生させてくれたのは、先祖代々受け継いで自営業を営んでいる父と顔の知らない母。
母親は育児ノイローゼになり、私を生んで3ヶ月で、ある男性を追って出て行ったらしい。
その後、私は祖母に育てられた。
祖母は、祖父が死んでからも店の電話番として看板ばぁちゃんだった。
私は、店や幼稚園はいつもバアーと行っていた。
バアーと、統合失調症の叔母ヨッコと3人で暮らしていた。
近くに住んでいた父は毎朝、仏壇に挨拶しに来ていたから少しの時間だが、会えた。
しかし、全く父親っていう自覚はなかった気がする。父親を「おさむ!」と、バアーの真似をして呼んでバアーに怒られた記憶がある。
さすがに、まだオムツをしていた頃の記憶はないが、バアーは私に甘かった。欲しいおもちゃを与えたりとわがままに育てた。
おんぶをしてくれてた記憶は、うっすらある。
幸せだった。
だが、幼稚園の他の友達と比べると何かが違う。
なんだろう…。
そうか、私にはバアーがいるけど、みんなお母さんがいる!
なんで、私にはいないの?
あれ?お父さんと一緒に暮らしている女の人はだれ?すっごく恐い…。
遊んでいる時に遠くから見ただけでも恐い。
こっちに来る!隠れなきゃ!見つかっちゃう!恐いよ!
「あやさ!?」
まずい!気付かれた!
私は東京で、この世に生まれた。
―――「生まれて来てよかったのだろうか」
そう思いながら生きていく日々は、あまり遠くない。
私をこの世に誕生させてくれたのは、先祖代々受け継いで自営業を営んでいる父と顔の知らない母。
母親は育児ノイローゼになり、私を生んで3ヶ月で、ある男性を追って出て行ったらしい。
その後、私は祖母に育てられた。
祖母は、祖父が死んでからも店の電話番として看板ばぁちゃんだった。
私は、店や幼稚園はいつもバアーと行っていた。
バアーと、統合失調症の叔母ヨッコと3人で暮らしていた。
近くに住んでいた父は毎朝、仏壇に挨拶しに来ていたから少しの時間だが、会えた。
しかし、全く父親っていう自覚はなかった気がする。父親を「おさむ!」と、バアーの真似をして呼んでバアーに怒られた記憶がある。
さすがに、まだオムツをしていた頃の記憶はないが、バアーは私に甘かった。欲しいおもちゃを与えたりとわがままに育てた。
おんぶをしてくれてた記憶は、うっすらある。
幸せだった。
だが、幼稚園の他の友達と比べると何かが違う。
なんだろう…。
そうか、私にはバアーがいるけど、みんなお母さんがいる!
なんで、私にはいないの?
あれ?お父さんと一緒に暮らしている女の人はだれ?すっごく恐い…。
遊んでいる時に遠くから見ただけでも恐い。
こっちに来る!隠れなきゃ!見つかっちゃう!恐いよ!
「あやさ!?」
まずい!気付かれた!