花日記
短い間、時が止まっていた気がした。
そして、また動き出す。
白拍子は恐る恐るこっちに向き直り、俺は平静を装って膳に手を運ぶ。
けれど、会話はない。
堪え難くなって、口を開いた。
「名は。」
「…え?」
「お前の名は?」
「…夕凪、と呼ばれておりまする。」
「夕凪、か。
呼ばれているとはどういうことだ。」
「夕凪は私のまことの名ではございませぬ。
まことの名は、とうに忘れてしまいました故に。」
「…そうか。」
「私は孤児(みなしご)でございました。
葛桐姉さんに拾われて白拍子になることが出来なければ、今頃この世にはおりません。」
「……名を、取り戻したいか?
お前の、本当の名を。」
考えるより先に言葉が落ちた。
とうの昔に忘れてしまった名など、そうやすやすと思い出せるものではないのに。