花日記
「色ボケ公方様ー?
朝のそろそろ仕度をしないと宿老(*)さんたちに怒られますよー。」
聞く者によっては、ものすごく無礼ととれる台詞の棒読みが襖の向こうから届いた。
夕凪も、俺が無礼だと言って怒るの出はないかと、ハラハラとしているのが見て取れる。
だが、あいつの軽口はいつものことで、俺自身がそれに慣れきっている。
「わかった。」
襖に向けて声を張り、中へ入るよう許可を出す。
それを受けて襖が開き、控えていた成兼が入ってきた。
いつもならここでわらわらと小姓達が続くのだが、夕凪の姿を確認した成兼は、入って来ようとする小姓達を止める。
そして、夕凪に
「夕凪殿は、一座の部屋へお戻りを。」
とにこやかに言った。
はっとして早足で出ていく夕凪の小さな背を、ただ見送った。
白拍子という身分ならば、たとえ将軍の寝屋に侍った後だろうとこういう扱いなのは当然なのだが、その冷たさに嫌な気分になる。
前の俺なら、もっと冷たく突き返していたはずなのに。
夕凪と綾子に出会って、俺の中の冷たい何かが溶けていったのだろうか。
人に冷たくあたる、ということがとても嫌なことのように思えた。
ほんの数日前の自分との変化に戸惑いを感じる。
俺は、こんなにお優しい奴なんかじゃない、と。
(*)宿老
このころでは、三管四職という室町幕府の中枢を担う重臣たちから選ばれた宿老と呼ばれる人達の会議で政治が行われていた。