花日記
「よ、義量さん…?」
綾子の戸惑った声が、耳元で聞こえる。
俺は、ただ、抱きしめるのみ。
驚いて固まっていた綾子の身体から、徐々に力が抜けていく。
その腕が、俺の背中に回された。
「綾子。」
俺はやっと言葉を発し、綾子から少し離れた。
温かさが薄れて、少し名残惜しい気持ちになるが、仕方ない。
「は、はい。」
不安そうに俺を見つめる綾子。
俺はもう、心に決めていた。
「綾子、ここで生きろ。」
お前のいた時代なんて忘れて、ここで生きろ、と。
「六百年先の未来が恋しかろが、ここで生きろ。
お前には家族も、友も、…恋人だっていただろうが、ここで生きろ。」
俺には、お前を未来に帰すなんて大層な真似は出来ない。
そんな人知を越えた神の力なんて、これっぽっちも持っていない。
だから、ここで生きてほしい。
俺が出来るのは、綾子をこの場所で生かすこと、ただそれだけだ。
「あなた、何を言っているの…?」
「悔しいが、俺にはお前を未来へ帰す術がない。
そんな人知を越えた神の力は持っていないんだ。
俺は、お前をここで生かしてやることしか出来ない。
家族が欲しければ、親父に頼んで養女にしてもらい、俺たちがお前の家族になってやる。
友が欲しければ、正家や成兼や、ここにはほかにも大勢いる。
恋人は…。
悪いが、忘れてくれ。
俺もそれだけはどうすれば良いか、わからぬのだ。」