花日記
「綾子と申すのか、あの娘は。」
「は。」
「ふむ…」
親父は一体何を考えているのか。
綾子を、追い出せだなんて、言わないよな?
だが、綾子には身分がない。
俺のもとに置くために、必要な身分が。
「御台所(*)を娶れ。」
「…は?」
「御台所を娶れと申した。」
「し、しかし、父上…」
「何だ。」
「それは、なにゆえで?」
「わが父、義満の代より、将軍の妻は日野家(*)の娘と決まっておる。
そなたが側室を作ったと日野家に知られては、日野家の面目が立たなくなるであろう。」
たしかに、将軍御台所は、日野家の娘というしきたりだ。
しきたりだけれど、俺は御台所を娶る気なんて、さらさらない。
「何だ、不服か?」
また、威圧的な声。
逆らうことなど、許されないような。
「私には、綾子一人で十分でございます。」
元々、子など持つ気はないのだ。
御台所どころか、側室もいらなかった。
綾子には手を出す気はない。
それに、俺の次の将軍は、比叡にいるあの男だ。
綾子の持っていた書物に、たしかにそう書いてあった。
上手く読めなかったが、なんとなくわかった。
六代将軍、足利義教、と。
「ならば、日野家はどうする。
日野家にはちょうど年頃の姫がいるのだぞ。」
「…。」
言葉が考えつかない。
どうする、どうする、どうする…?
「あなた、こんな所にいらしたのですか。」
背後から、高い女の声がした。
聞き慣れた声。
いつもいつも、俺はこの人に助けられていた。
「み、御台…」
俺の母上で、大御台所。
日野、栄子。
(*)御台所
将軍の正室
(*)日野家
公家の家のひとつ