花日記

「綾子と申すのか、あの娘は。」



「は。」



「ふむ…」



親父は一体何を考えているのか。



綾子を、追い出せだなんて、言わないよな?



だが、綾子には身分がない。



俺のもとに置くために、必要な身分が。



「御台所(*)を娶れ。」



「…は?」



「御台所を娶れと申した。」



「し、しかし、父上…」



「何だ。」



「それは、なにゆえで?」



「わが父、義満の代より、将軍の妻は日野家(*)の娘と決まっておる。
そなたが側室を作ったと日野家に知られては、日野家の面目が立たなくなるであろう。」



たしかに、将軍御台所は、日野家の娘というしきたりだ。



しきたりだけれど、俺は御台所を娶る気なんて、さらさらない。



「何だ、不服か?」



また、威圧的な声。



逆らうことなど、許されないような。



「私には、綾子一人で十分でございます。」



元々、子など持つ気はないのだ。



御台所どころか、側室もいらなかった。



綾子には手を出す気はない。



それに、俺の次の将軍は、比叡にいるあの男だ。



綾子の持っていた書物に、たしかにそう書いてあった。



上手く読めなかったが、なんとなくわかった。



六代将軍、足利義教、と。



「ならば、日野家はどうする。
日野家にはちょうど年頃の姫がいるのだぞ。」



「…。」



言葉が考えつかない。



どうする、どうする、どうする…?



「あなた、こんな所にいらしたのですか。」



背後から、高い女の声がした。



聞き慣れた声。



いつもいつも、俺はこの人に助けられていた。



「み、御台…」



俺の母上で、大御台所。



日野、栄子。



(*)御台所
将軍の正室
(*)日野家
公家の家のひとつ


< 71 / 103 >

この作品をシェア

pagetop