花日記
綾子は武家でもなければ公家でも、商人でも百姓でもない。
この時代に、存在しえない存在。
奇跡の、姫。
「いいわ、治部、綾子殿を呼んできて頂戴。」
母上は治部卿局──じぶのきょうのつぼねという侍女に指示を出した。
「母上!?」
「そなたに聞いても教えてくれそうにないんだもの。
綾子殿に話す方が早いわ。」
一体何を言い出すかと思えば。
この人がひとたび興味を持ったら誰にも止められない。
興味本意で薙刀、鷹狩、漢学…、およそ姫君とは思えないことをやってきたのだ。
従わないと、後が怖い。
この人のことだ、俺が宿老会議の真っ最中にでも綾子の所へ行ってしまうだろう。
事がややこしくならない内に、俺が立ち会いのもとで会ってくれたほうが、幾分ましというものだ。
「大御台様、綾姫様でございます。」
綾姫?
聞き慣れない名に、首を傾げる。
綾姫とは、綾子のことだろうか。
綾子、綾姫、綾子、綾姫………
侍女たちが呼ぶには、都合よい名であると自己解決する。
綾子は一度、深々と頭を下げて部屋に入ってきた。
「はじめまして、綾子殿。」
「は、はじめまして、大御台様!」
「そんなに固くならないで下さいな。
貴女は私の娘も同じなのですから。」
母上はいつものようにニッコリと微笑む。
それに対して、綾子は見るからにがちがちだ。
「貴女を呼んだのはね、私の息子について、いろいろとお話したかったからなの。」
母上には、本人が目の前にいるとか、そんなことは関係ないらしい。
「は、はあ…」
「単刀直入に聞くわ。
貴女はあの子のどこに惹かれたの?」
…俺と綾子の周りの空気が固まった。