Fahrenheit -華氏-
外でジェニーとコーヒーを一杯飲んで、俺は彼女とともに会社に戻った。
エレベーターを待っているときに、ジェニーがちょっと感慨深げにため息を吐いて言い出した。
「 She's amazing.She doesn't show me the hardship though various events happened.(ルカも、凄いわよねぇ。いろいろあったって言うのに苦労をちっとも滲ませないで)」
聞き間違いだろうか。
俺はまだ早い言い回しとか聞き取れないから、会話の一部しか理解できなかったけど。
「A lot happened…?(色々あった?)」
ジェニーはちょっと目を開いて俺を見上げた。
薄いブルーの瞳が探るように揺らいでいる。
「Haven't you heard?(彼女から聞いてない?)」
「I don't know.(知らない)」
俺の返答に、ジェニーはぞんざいにため息をつくと、ゆっくりと腕を組み視線をエレベーターに向けた。
シルバーグレイの扉はきっちり閉まっている。
俺は祈った。
この扉がしばらく開かないことを。
「Tell me what happened.(何があったの?)」
だけど俺の祈りも虚しく、エレベーターは一階ロビーに到達すると、柏木さんの過去も秘密も飲み込もうとするかのように音を立てて開いた。
「What she doesn't say to you cannot be said from my mouth.(ルカがあなたに言っていないことを、あたしが軽々しく話すわけにはいかないわ」
エレベーターに乗り込みながら、ジェニーは組んだ腕を解かずに冷たく言い切った。
ま、それもそうだな…
ジェニーは不用意に他人の秘密を漏らさない女だ。
そういう女は好きだが、今ほど疎ましいと思うことはない。
でも他人が軽々しく口にできない程の過去を柏木さんは抱えている。
俺はふいにヴァレンタイン財閥との関係を思い出した。