Fahrenheit -華氏-
そんなわけでここ一週間ほどTUBAKIウエディングから逃げ続けていたわけだが…
「神流部長」
呼ばれて振り返ると、以前俺が所属していた物流管理本部の内藤チーフが俺の後ろのパーテーションからひょっこり顔を出していた。
内藤チーフは40過ぎの女性で、旦那と子供二人が居るのにバリバリのキャリアウーマンだ。
四年間俺の下で働いてくれて、彼女には随分助けられた。
ハキハキしていて、男勝り。バリバリ仕事をこなす彼女のことは俺は嫌いでない。
「TUBAKIウエディングの香坂さんからこちらに電話が掛かってきたわよ」
内藤チーフはちょっと苦笑い。
俺がずっと居留守を使っていたわけだから、とうとうそっちに泣きついたってわけか。
「すみません」
俺は素直に謝った。
「別にいいけど。あんまり神流部長がつれないから、こっちに泣きついてきたんじゃないかしら」
「でもTUBAKIウエディングは前回東星紡と取引を望んでいたところでしょう?僕は国外メーカー担当なので、担当外かと…」
東星紡とは……国内最大の繊維工場を営んでいる会社だ。
総資産や、純利益はまだまだうちに及ばないが、安定した老舗であることは確かだ。
「それがねぇ、まだ詳しくは分からないけれど、どうやらイギリス、プリマスにあるローズウッドっていうメーカーにコンタクトを取りたいらしいの」
ローズウッド…聞いたことないな…
「そこの生地をとにかく手に入れたいらしくて。でもダイレクトには取れないらしくて手をこまねいているってわけ。間に東星妨を挟んで何とかならいかって?
うまく行けば双方に恩を売れるわよ。
力になってあげたら?」
「力になってあげたら?…と言われましても。国内メーカーのドレス生地であれだけ戸惑った僕が、日本を飛び越えてできると思います?」
俺は困ったように眉を下げた。
「あら。今回は柏木補佐がいるじゃない♪彼女に手伝ってもらいなさいな」
内藤チーフはにこにこしながら柏木さんの方に目配せした。