Fahrenheit -華氏-
「あなたはまた桐島さんを傷つけるつもり!?桐島さんから離れて、新しい男のところにいって子供を奪って、あなたはそうして二度三度と彼を裏切り、彼から何もかも奪うつもり!?
いい!!親ってのはね、子供を奪われるほど辛いことなんてないのよ。
あなたも母親なら分かる筈でしょ!?桐島さんに悪いと思うのなら、あなたは桐島さんの隣に居て彼と子供と三人で幸せになるべきじゃないの!!
いいじゃない。情であっても一緒に寄り添ってくれる人がいるだけで……
辛い過去なんて……考えなくていいのよ」
柏木さんは早口に言い切った。
そしてマリちゃんの元にゆっくりと歩んでいくと、彼女の手を優しく取った。
「逃げないで……ちゃんと現実に向きあいなさい。あなたを愛してくれる人のためにも、後ろ向きな考えは捨てるべきよ」
柏木さんはマリちゃんの頬に流れた涙をそっと指で拭い、桐島を仰ぎ見た。
何でだろう…
不謹慎だけど、俺は柏木さんの言葉に心が動かされた。
彼女の言葉は偽善じゃない、心からの本心だ。
冷たいと思ってたけど―――彼女の中には俺の知らない温かいもので溢れている。
俺が好きになった人が柏木さんで……
心底良かったと思ってる。
マリちゃんが鼻をすすって柏木さんを見た。
「あ……あたし、宏くんの傍に居て……いいの?」
「誰がダメって言った?俺一度もそんなこと言ってないけど?」
桐島がマリちゃんの肩を優しく抱いて、自分の方へ引き寄せる。
「ふぇええん」
マリちゃんは再び声を上げて泣き出した。
「宏くん……ごめん!ごめんねぇ」
しゃくりあげながらも、何度も謝る。
桐島はそんな彼女の頭を何度も、何度も優しく撫でていた。
この二人なら―――
もう大丈夫だろう。
俺は彼らを心穏やかに見つめた。