Fahrenheit -華氏-
それからの数日間あたしは眠れなかった。
毎晩ベッドに入って瞼を閉じても、考えることはあの人のこと。
許せない
許せない
許せない!!
そんな風に思って眠れない夜をやり過ごすと、いつの間にか夜明けになっていてほんの30分間うとうとと瞳を揺らすと、何故か楽しかった日々がまるで走馬灯のように流れる。
「Can I have your name, please?(ねぇ名前教えて?)」
彼はガードレールに寄りかかり、にっこり微笑んでいた。
ハンサムで背が高くて、会話上手で―――優しくて………
いつしかあたしはあの人が仕事を終わるのを、近くのカフェで待ち望んでいた。
決まったカフェの決まった席。
深緑色のアイアンの洒落た柵があって、その隙間から道行く人の流れを眺めていた。
そこがお気に入りの場所。
目の前を行く人の波の中彼を見つけると、笑顔で手を振った。
モノクロの世界に、彼だけが色づいて見えた。
彼があたしに気付いて手を振りかえしてくる。
『Louie!(ルーイ)』
彼は愛情を込めてあたしをそう呼んだ。
そう呼ばれることがくすぐったくもあり、そしてとても心地よかった。
二人で出かけたドライブの帰り道、車の中でキスをした。
『I don't want to see you off.(帰したくないな)』
名残惜しそうに何度も何度も髪を撫でながら。
あたしも同じ気持ちだった。
初めて夜を共にした日、初めて口喧嘩をした日、結婚を決めたとき―――結婚式、一緒に暮らし始めた日
―――どれをとってもかけがえのない美しい思い出。