Fahrenheit -華氏-


無意識のうちに電話を掛けていた。


思えば彼のプライベート用の携帯に電話を掛けるなんて初めてのことだ。


TRRR…


ワンコールもしないうちに相手が電話口に出た。




『もしもし!柏木さんっ。どうしたの?』


「……いえ、夜分遅くにすみません。特にこれといって用はないのですが……」


しまった。何を話すか全然考えてなかった。


ただ


この人の声が聞きたいと切実に思った。


『いいよ♪ってかむしろ電話してください☆ってカンジ♪ってか相変わらず丁寧だね。もっとくだけてもいいよ?』


「はぁ。あの…メール……ありがとうございました…。月見酒には丁度いいですね」


『月見酒!渋いね~。っても俺も風呂からあがったばっかで、ビール片手に見上げたら綺麗だったからさぁ。あ、でもまだ外は暑いね~』


あはは、と明るく笑う声はちょっと低くて、でも良く透る澄んだ声だ。


よく喋る人。


ふふっとつられてあたしも笑った。


何でだろう……哀しいはずなのに、あたしは笑顔を浮かべている。


『……良かった。ちょっと元気になったみたいだね』


部長の声が和らいだ。


声に温度があるのなら―――


その温度は今のあたしにとって適温。


温かくて、心地いい。


「…あたし、元気ないように見えました?」


気をつけてるつもりだったけど。







『……ちょっと疲れてるように見えたから、気になってた。


でもいざ声を掛けようと思ったら、自分でもどうするべきか分からなくって。


何でもないメール送って…ホントは俺の方が柏木さんと喋りたかったのかも…』





この人は……



タイミングが良い訳じゃなかった。


あたしの微妙な変化を見てて、気に掛けてくれていたのだ……











< 388 / 697 >

この作品をシェア

pagetop