Fahrenheit -華氏-
無意識のうちに電話を掛けていた。
思えば彼のプライベート用の携帯に電話を掛けるなんて初めてのことだ。
TRRR…
ワンコールもしないうちに相手が電話口に出た。
『もしもし!柏木さんっ。どうしたの?』
「……いえ、夜分遅くにすみません。特にこれといって用はないのですが……」
しまった。何を話すか全然考えてなかった。
ただ
この人の声が聞きたいと切実に思った。
『いいよ♪ってかむしろ電話してください☆ってカンジ♪ってか相変わらず丁寧だね。もっとくだけてもいいよ?』
「はぁ。あの…メール……ありがとうございました…。月見酒には丁度いいですね」
『月見酒!渋いね~。っても俺も風呂からあがったばっかで、ビール片手に見上げたら綺麗だったからさぁ。あ、でもまだ外は暑いね~』
あはは、と明るく笑う声はちょっと低くて、でも良く透る澄んだ声だ。
よく喋る人。
ふふっとつられてあたしも笑った。
何でだろう……哀しいはずなのに、あたしは笑顔を浮かべている。
『……良かった。ちょっと元気になったみたいだね』
部長の声が和らいだ。
声に温度があるのなら―――
その温度は今のあたしにとって適温。
温かくて、心地いい。
「…あたし、元気ないように見えました?」
気をつけてるつもりだったけど。
『……ちょっと疲れてるように見えたから、気になってた。
でもいざ声を掛けようと思ったら、自分でもどうするべきか分からなくって。
何でもないメール送って…ホントは俺の方が柏木さんと喋りたかったのかも…』
この人は……
タイミングが良い訳じゃなかった。
あたしの微妙な変化を見てて、気に掛けてくれていたのだ……