Fahrenheit -華氏-
目の前でシェーカーを振る小気味良い音を聞きながら柏木さんが切り出した。
「今日、誘ってくださってありがとうございました」
「そんなかしこまらないでよ。俺も飲みに来たかったから」
俺は軽く笑ってタバコを取り出した。
タバコに火をつけるのと同時に、カクテルグラスが俺たちの前に置かれた。
「まずは乾杯から」
「お疲れ様です」
グラスを持ち上げて、チンと軽く音をたててグラスが重なった。
グラスに軽く口をつけて柏木さんが俺の方を見た。
「昨日はすみませんでした。困りましたよね?」
「いや、びっくりはしたけど…別に困ってはないよ」
気を遣っての言葉じゃない。ホントのことだ。
「珍しいよね。柏木さんが弱ってるのって」
どこから切り出して良いのか、どこまで立ち入って聞いて良いのか俺にはそのラインが図りかねたから何となく当たり障りのない言葉で始めた。
柏木さんはグラスをテーブルに置くと、ちょっと考えるように間を置いて、そしてゆっくりと俺を見てきた。
「実は……一週間ほど前から元夫から電話がかかってきまして…」
元夫―――Mか……!