Fahrenheit -華氏-
バーを出て、俺はタクシーを拾おうとした。
彼女をマンションがある六本木まで運んでもらうつもりだ。
だけど柏木さんはそれをやんわりと断った。
「近くですし、歩いて帰ります」
さすがに夜も12時を過ぎていたし、女の一人歩きは危険だ。
「危ないよ?歩くんなら、俺も一緒に…送ってくよ」
勘違いしないでほしい。
下心なんて―――………ちょっとはあるかもしれない。
でも弱ってる柏木さんに言い寄るのは卑怯な気がした。
だから俺の気持ちはまだしまっておくつもりだ。
か弱い女性を家まで送り届けるだけの―――俺はただの紳士。
外苑東通りをゆっくりと南下しながら歩く足取りはどこか軽やかだった。
何故、って俺は今まで知らされていなかった彼女の過去をちょっと知ることができたから。
そして隣に愛する人がいるから♪
だけど
隣り合って歩くと俺の右手はうずうず。
すぐ近く、ホントに至近距離の位置に柏木さんの腕がある。
手を繋ぎたい
なんていつ頃以来だろう。
きっと高校生のときでさえこんな風に思わなかった。
何故なら、相手も同じ気持ちでそれが意図も簡単にかなったから。
だけど柏木さんは別にそうじゃない。
……気がする。
正直、柏木さんがどこまで俺に心を許してくれてるのか分からなかった。
彼女との微妙な距離を詰めるのに
俺はいつも躊躇う。