Fahrenheit -華氏-
妙なライバル心を抱いていた俺だけど―――
俺なんかライバルにもなれない気がした。
何でもこなせる柏木さんが唯一「完璧」と言った言葉の裏には、それだけの重みと愛情がある。
「失敗でした。あの人と結婚したのは―――
結婚しなければ、あたしたちいい関係を築き上げてこれたかもしれない。
と言っても、すべて後の祭りですけどね。
今更後悔したって、どうにもならないのに……」
それはほとんど直感だった。
柏木さんが俺に教えてくれたように、彼女もまたMに「愛」を教えてもらったんだ。
だけどあいつは奪いもした。
夢見るような恋のすばらしさも、激流を遡るような激しさも、身を裂くような切ない想いも………
すべて…
「失敗でした」
もう一度小さく呟くいて、彼女の手が俺からするりと離れていこうとした。
俺は慌てて彼女の手を握り返すと、
「失敗じゃないよ。
柏木さんの通ってきた道に間違いなんてなかった」
と無理やり笑顔を作って、柏木さんに笑いかけた。
柏木さんは顔を上げて俺を真正面から見つめてきた。
「何が成功で、何が失敗かなんて、誰にも分かりはしない。
でも通ってきた道に、間違いなんて絶対ないんだ。
その過去があってこそ、今の柏木さんがいる」
握った手に力を込めて、俺はまっすぐに夜の街を見据えた。
俺の前に拓けた道があるように、柏木さんの心の中でも道は続いている。
曲がったり、途中で行き止まりになったりするけれど、
来た道を引き戻してはいけない。
だから手を繋いで、二人で新しい道を探したいんだ。