Fahrenheit -華氏-
み、緑川!!
なんて目ざとい奴!!
ぎくりとして、俺は目だけを上にあげた。
今日は柏木さんにワックスを借りて、多少セット力が弱いものの、髪もきちんと整えてきた。
髭は一日でそんなに伸びないから、今日一日ぐらい何とかなる。
寝不足を感じさせないよう、朝から栄養剤2本だって飲んだ。
なのに……
「まさか…どこかお泊りですか?」
ぎくぎくぎく~~~!!
暑くもないのに、やたらと汗が流れてきそうだった。
事情を知っている柏木さんが助け舟を出そうと、口を開きかけたが…
「緑川さん!」
佐々木のちょっと怒るような声で、緑川さんはびくりと肩を揺らした。
思えば佐々木がこんな風に声を荒げるのを聞いたことがない。
いつも温厚で、何事にも素直。
愚痴は零すが、怒りを露にしたことがない佐々木が…
「部長は!あなたの発注ミスを昨日一晩かけて対処してくれたわけですよ!!あなたのせいで!」
佐々木がキレた!!あの佐々木が!
ここのメンバーの中で誰よりも忍耐強いと思われる佐々木が一番最初に!!
意外なその現実に、俺と柏木さんは無言で顔を合わせた。
佐々木もよっぽど溜まるもんがあったんだろうな。
それにしても、佐々木は
どうやら勘違いしているようだ。
でも敢えて訂正はしないけど。ってかできない。
普段温厚な佐々木の声は、緑川さんをビビらせるのに、十分効果があったようだ。
「あたしの……ミス?」
「あ~…結果、片付いたからいいって」
それに半分は柏木さんに手伝ってもらったから、一晩ってこともなかったし。
「あたし、何が間違ってたんですか?」
「発注リストを全部一段ずつ間違えて注文入れてたみたいですね。今後は気をつけてください」
柏木さんが会話を絞めくくった。
佐々木はあま怒り慣れていないのか、どこか消化不良の顔つきをしていたし、そんな佐々木に怒られ緑川さんはしゅんとうな垂れているし、柏木さんはできるだけ関わりたくないという感じだ。
何だか不協和音だった。