Fahrenheit -華氏-
何でそんな質問……
不思議に思ったが、柏木さんとプライベートの話をするのはこれが始めてだったし、
何より俺が身の上話をした女は柏木さんが始めてだ。
「よく……分からない。もう母親を恋しがる年齢じゃないし。自分が精一杯で正直考える暇なんてないよ」
柏木さんはゆっくりと立ち上がると、小さくなったタバコを灰皿の受け皿に綺麗に押し付けた。
「そうやって……忘れていってしまうんですね」
押し付けた先から煙が立ち上ってる。
消えきらない火種が、何故か柏木さんの心にある不安要素かのようにいつまでもくすぶっていた。
あれ以来―――柏木さんとはプライベートな話はしていない。
喫煙室で鉢合わせることもなかった。
一瞬……
たった一瞬だったけど、彼女の中にある何か深い闇を見たのは、気のせいだったのだろうか。
彼女はそんな素振りを見せなかった。
仕事にも一切手を抜かず、相変わらず俺に細やかな指摘をしてくる。
そんな日々が続いて、週末を迎えた。