Fahrenheit -華氏-
まずいことを聞いた、と思った。
またマックスのことを掘り起こしてしまった。
言いたくないだろうに……
「………盗み聞きなんてして、本当にごめん」
「どうして謝るんです?悪いと思って?」
「そりゃ…」
俺は言葉を濁した。飲み込んだはずのコーヒーの苦味が、口の中で一杯に広がっている。
いや、これはコーヒーの苦味じゃないな。
「まぁ盗み聞きなんて、良いことではないですけど、怒るより今は『私のこと知りたいと思ってくれてるんだ』って嬉しい気持ちの方が大きいです」
俺は面食らった。
まさか柏木さんがそんな風に思ってるなんて、思いも寄らなかったから。
「何かを……
何かを失うと、何かを手に入れられるんですね。
世の中ってうまくできてると思う」
柏木さんはコーヒーを両手で包みながら、俺を見た。
その表情はまるで一言で言い現せない温かく穏やかなものだった。
この顔を持つ女を俺は知っている。
俺のワイシャツの中でロザリオが揺れた気がする。
そう
彼女の表情が、慈愛に満ちた聖母マリアを現しているからだ。