Fahrenheit -華氏-
どう見ても大丈夫そうじゃない緑川に、さすがの俺も心配になった。
一体何杯飲んだんだよ。
瑠華も同じような心境に違いない、緑川の背中に手を置くと、軽く撫でさすった。
「送ってもらった方がいいじゃないですか?辛そうですよ」
ところが緑川は瑠華のその手を乱暴に振り払った。
「大丈夫ですってば!」叫ぶように言って、ソファの背中に顔を埋める。
これにはさすがに俺も瑠華も、その場に居合わせた女の子もびっくり。
何となく三人顔を合わせる。
「…そうやって……優しくしないでよ。余計に惨め……」
緑川はソファに顔を埋めたまま、声を漏らした。その声は途切れそうなほど小さくて、震えていた。
泣いている、ということに気づいた。
そしてその言葉が瑠華に向けられたものだということも気づいた。
俺はまだつけたばかりのタバコを灰皿で消すと、経理の女の子を見上げた。
「結城さん、悪いけど佐々木呼んで来て」
「あ…はい!」
結城さんは慌てて部屋に戻っていく。
「部長…どうなさるんですか?」と瑠華が心配そうに俺を見下ろした。
瑠華から見下ろされるなんてなかなかないから新鮮だった。彼女はどの角度から見ても完璧で
まるで完成された彫刻のようだけど、その表情は、ほんの僅か不安そうに曇っている。
俺が何か言う前に佐々木が走ってきた。
「緑川さんが具合悪いって…大丈夫ですか?」
「ああ。俺、ちょっと彼女を送ってくよ」そう言ってポケットから財布を取り出し、中から万札を数枚佐々木に手渡した。