Fahrenheit -華氏-


タクシーの後部座席に乗り込んで、


「家、どこ?」と緑川に聞くと、「北品川です…」と答えが帰ってきた。


住所を運転手に告げると、タクシーはゆるやかに発進した。


車に揺られること十分。タクシーは白くて小綺麗なマンションに到着した。


本当に具合が悪いらしく、タクシーに乗っている間は道案内意外ほとんど緑川は口を開くことはなかった。


俺は緑川を支えるようにして、マンションのエントランスをくぐりエレベーターに乗り込み、目的の階の部屋まで到着すると、のろのろとした手付きで鍵を開けさせた。


「大丈夫か?まぁ今日はゆっくり休めよ」


俺の言葉に緑川がうつろな目をちょっと上げる。


「…ご迷惑をおかけして、すみませんでした」とやけに常識的な答えを返してきて、緑川は部屋に入っていった。


扉がパタンと閉まったのを確認して、俺はふぅと小さくため息を吐いた。


瑠華に連絡しようと携帯を開いたと同時に中から、ドン!と何かぶつかる物音がして俺はびっくり。


おいおい、大丈夫かぁ?


心配になってそぉっとドアを開けると、暗い廊下で緑川がうずくまっていた。


「ったぁ…」と足首を押さえている。


何かにぶつけたようだ。


俺は携帯をしまった。玄関の明かりを探るように手を這わせ、何とか見つけると明かりをつける。


「大丈夫か?」


靴を脱いで緑川を支えるようにして立ち上がらせる。


「……大丈夫……です…」と何とか答えた声は、涙が混じっていた。





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