Fahrenheit -華氏-
俺は思わず止まった。
ピヨコに眉毛があったからって?そんなこたぁどーでもいい。
瑠華の待ちうけが、彼女の愛する娘から、ピヨコに変わっていたことに―――だ。
「待ちうけ……変えたんだ」
俺の言葉に瑠華はちょっと俯いた。長い睫を伏せ、でもほんのちょっと口元に笑みを浮かべている。
「……いつまでも…過去を引きずるのは良くないと思いまして…」
俺は彼女の頭部を見下ろした。
ここからじゃ、彼女の表情が見えない。
抑揚を欠いた彼女の声から、悲しみとも寂しさとも取れない何かの感情が溢れていそうだったから。
俺は黙って彼女の隣を歩くしかできなかった。
ゆっくり、ゆっくり……
二人の影が寄り添って、アスファルトに黒い影を落としている。
瑠華はおもむろに顔を上げた。
まっすぐな視線は意思の強さを物語っていた。
「でも忘れたわけじゃありません。思い出はあたしの胸の中にしまっておこう。
一生忘れることない思い出の引き出しにしまっておこう。
そう決めたんです。
あたしは自分の幸せのために―――出来ることから少しずつ変えていこうと思ったのです」
そう言い切った彼女の横顔は
とても清らかで、きらきらと輝いていて―――とても綺麗だった。
瑠華は歩き始めている。
過去を振り切ることはできないだろうけど、それを受け止めて前に踏み出そうとしている。
俺はその手助けをしたい。
「二人で新しい記憶を作っていこうね」
俺は瑠華ににっこり微笑みかけると、彼女の手をそっと握った。
二つだった影が一つに変わった。