オアシス
その場に呆然と立ち尽くす。男を見失ったことと、人の多さに目眩がしてきた。年配のサラリーマンがぶつかってきて、衝撃で旅行鞄を落としたことさえどうでもよかった。

“そんなとこに突っ立って邪魔なんだよ”

ぶつかってきたサラリーマンは目で訴える。

しかしそんなことさえ気づかなかった。放心状態の私に、


「何かありました?」


声がする方に、ゆっくり顔を向ける。

男が立っていた。

まっすぐに、私の方を向いて。

私は、ホッとした気持ちからか、その場に座り込んだ。


「どうしたの?」


男は慌てて私に駆け寄る。


「姿が見えなくなったから、少しさがしました。はぐれちゃったみたいで……すみません」

涙が溢れてきた。何か言おうとするが、胸が詰まって喉が痛くて喋ることができなかった。


「……よかったです」


なんとか言えた。振り絞った声だったと思う。一言さえも精一杯だった。
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