狂犬病予防業務日誌
 白いご飯が盛られた茶碗が行き渡ると「いただきます」を家族全員で言う儀式へ。

 そして、いざ鍋へ……と思ったら、母親に「ふざけないで!」と叱られた。

 おれの口にはまだ肉が残っていたので「ひひゃだきます」と発音してしまったからだ。兄貴と父親は腹を抱えて笑う。

 ゴングが鳴れば兄貴も肉食獣へと変貌する。冬の野球部の練習は夏場より厳しく、持久力をつけるために雪が積もったグラウンドを走らされ、体育館に戻ってからも体が悲鳴を上げる柔軟体操が延々と続く。兄貴は食べ盛り。従って肉はあっという間になくなる。

「野菜も食べなさい」
 母親からの指摘をおれは無視したが、兄貴は素直に野菜に手をつけた。嫌そうな顔をしないで食べるところが兄貴のすごさだ。

「先週買った牛肉がまだあるはずなのよ」
 母親の顔は計算づくだという自信がみなぎっていた。

(どこかで……既視感だ)

 どうしておれは過去の記憶の中に存在しているんだ?これは観念的なものが膨らんで画像的に表現されたものとは違う。鍋を食べ、味覚、嗅覚、触覚までも感じている。かなり深刻な精神疾患を抱え、受動感を伴った幻覚を見ているのか?

 母親は冷凍室を開け、牛肉を探しはじめていた。

「ぼく、もう食べないよ」
「肉を食べるのはあんただけじゃないのよ」
 おれは母親に肉を探させるのをやめさせようとしたが、あっさり失敗。「ぼく」と子供口調になっている自分にも驚いた。あとは力づくで制止するしか道がない。

 
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