狂犬病予防業務日誌
 保健所に辿り着いた頃には太陽はすっかり沈み、グレーの空から雪が降りモノクロームの情景に染めていた。単純に遺影に似ているなと思った。疲れが蓄積されているからなのか暗いことを連想してしまうようだ。

 立ち止まると膝の痛みに気づき、ズボンを裾から捲って触ると熱を帯びていた。

(さすがに歳だな)

 年々頭は固くなり妻と意見が衝突する頻度も増えてきた。この前など妻が買ってきたカレー・ルーが甘口じゃなく中辛だったことで揉めた。本当にくだらないことでケンカしてしまう。62歳にして生きている意味がわからなくなってきた。

 妻にもう少しやさしくしたほうがいいのだろうか。犬の写真を一枚くらい撮っておくべきだった……いや、悲しい思い出がぶり返してくるだけだ。そういえばまだ名前もつけていなかった。

 段ボール箱の中で犬はおとなしくしている。作戦は成功だ。段ボールに入れる前に長時間の散歩をさせといてよかった。

 クリスマス・イブでも保健所は忙しいのか1階と2階に電気が点いている。

 しかし建物に入ると中は閑散としていた。事務所には一人だけ職員がいた。若い男が受付にやってきた。対応が不慣れでおれは緊張をほぐしてやろうとわざと老け役で接しやすくしてやった。

 気遣いは裏目に出た。蔑んだ目で見ながら申請書を取り上げて好き放題に記入していくので段ボール箱に入っている犬の凶暴性を誇張して作り話を聞かせて困らせてやった。

 段ボール箱に閉じ込められていた犬はストレスがたまっていたようで若い男に突進した。休憩室で男を刺してから犬を探しに正面玄関にいくと闇から出現した犬に反応できず、若い男と同じ末路を辿った。

 





 
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