孤高の天使
2章 愛を囁く悪魔
迷いの森
右も左も上下の感覚さえ分からな深い闇の中、堕ちていけばいくほど聖力が吸い取られていくのが分った。
身体が重く、手足が鈍化する感覚はどこか覚えがあるようにも思えた。指先ひとつ動かすことも億劫で、息苦しい。
いっそこのまま意識を手放してしまった方が楽なのではないかとイヴが瞼を閉じた時、突然空を切る風の轟音が響いた。
耳元で唸る音の大きさから、とても高い場所から落下しているのだと悟る。幸か不幸か背中から堕ちていたため、イヴは恐る恐る目を開いた。
そして、驚愕する。眼前にはイヴの知らない世界が広がっていた。自分が通ってきたであろう闇色の空、宙を舞う黒い粒子、そして何より闇夜に輝く蒼い月。全てが天界のそれとは違っていた。
不気味だが美しい下弦の月に一瞬見惚れたが、じっくりと観察しているわけにもいかない。もしあの分厚い闇の雲を抜けてきたとしたら、地上までおよそ二千から七千メートルといったところだろう。
高度を考えると身の毛もよだつが、羽を動かし飛ばなければ地面に叩き付けられることは必至。しかし、深い闇とこの世界に広がる黒い粒子が原因なのか、先ほどから具現化した羽を動かそうにもピクリとも動かない。
息苦しさと身体の倦怠感から察するに、元々少ない聖力を根こそぎ吸い取られてしまったようだった。
(私このまま死んじゃうの?)
朦朧とした意識の中、自分の最期を感じて不安と恐怖に駆られた時。何かがイヴの上空を突如横切った。
目にもとまらぬ速さで空をかけていたそれは、艶やかな漆黒の毛並みと紅の瞳を持った獣だった。その獣はイヴを視界の端に捉えると、空中でぴたりと止まり落ちていくイヴを見下ろした。