君を忘れない
「どんなことだよ?」


天井を見て、一呼吸する。

誰かにこのことを話すのは初めてだから、少し緊張しているのだろうか。

そんなことはないだろうと思ったが、振り返りさっきまで座っていた二人が立ち上がっているのを見たら、緊張という言葉がこみ上げてきた。

ただ自分の考えを言うだけだというのに、こんなことに緊張しているのはこの病気で弱気になっているからか。



そう考えると悔しくなり、唇をかみ締めた。


「世界一辛い人のことを考えるんだ」


その言葉に二人は不思議そうな顔をしていたが、構わずに続けた。


「世界一辛い人ってさ、どこの誰だか分からないし、どれだけ辛いかなんて想像もつかないだろ。

でも、とにかくすげぇ辛いってことだけは想像できる。

その辛さに比べたら、きっと俺の辛さなんて鼻くそみたいなもんだろうな、って」


左胸に右手を当てると、心臓の鼓動が随分はっきりと分かる。

言い終わってはっきりと分かった。

きっと、これはこの言葉を人に向かって初めて口にする緊張ではなく、これから俺に待ち受けていることに対する不安なのだ。

やっぱり、平常心ではいれてはいないのだろう。

当然だ。


「いや、鼻くそって汚いな」


今日、初めてヒメがいつもの笑顔を見せてくれ、それだけで心臓の鼓動が静かになっていく気がした。


「そうだな、せめて屁くらいにしとくか」


「もう、折角のいい言葉が台無しじゃないですか」


静かな病室で三人で笑い合う。

静かだが、確かに俺は今こうして笑い合っているのだ。

こうやって、笑い合えるのももう多くはないだろうが、今こうして笑い合えている。

笑えるのだから俺は世界一辛い人にはならない。

世界一辛い人は、きっとこんなものじゃない。
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