約束を破れない男(仮)
「それで、先ほど『これから死のうと思う』とおっしゃっていたようですが、差し支えなければお話をお聞かせいただけないでしょうか?」

『あぁ、はいはい。そうですよね。そのために電話したんですから。そうですね……』

 男はそこで一旦言葉を区切ると、何かを逡巡するようにしばしの沈黙を落とした。板垣は、相手が話し出すのを急かすことなくじっと待ち続ける。ここに電話してくる人は、確かに死にたいほど辛い状況に置かれている人がほとんどだが、『死にたい……だけど、誰かにとめてほしい』そんな願望を皆、心の奥底に秘めている。だから、相手が話したいことを話したいだけ話させる。自分からは、突っ込んだことは聞かず聞き役に徹するという暗黙のルールが敷かれていた。

 そのルールに従い、ただひたすら相手が話し出すのを静かに待った。そして、受話器の向こうから息を継ぐ音が聞こえた。

『私、先ほど死のうと思うと言いましたが……』

「はい」

『あの言葉に、嘘偽りはないのです。ただ、死を目前にして急に誰かに私が死のうと思った理由を話したいと思い立ったんです』

「そうですか」

『私の話を聞いていただけますか?』

「もちろんです」

 そして、男は相変わらず清々しいほど明るくそしてどこか懐かしむような声で話しだした。
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