スマイリー
有華は玄関のところまで進についてきた。



「見送りなんていいって言ってるのに」

「何言ってるの。ひとつの礼儀みたいなもんだよ。気をつけてね」

「おお。ありがとな」



有華が最後に見せた笑顔を頭に焼き付けて、進は有華に背を向け歩き出した。



路地に出て50メートルほど歩くと、すぐに大通りが見えてくる。左に曲がって数分で駅だ。



進は左に曲がる前に、無意識に後ろを振り返った。



有華は玄関の前の路地のところまで出てきていた。50メートルも離れた所で進と目が合うと、笑顔を見せて手を振った。



小柄で華奢な身体を精一杯大きく見せようと、少し背伸びをしながら大きく大きく手を振っているのが見えた。



進は手を振り返すと左に曲がり、大通りに沿って歩き始めた。


進の頭の中では、有華の屈託のない笑顔がまだ鮮明に焼き付いていた。



進は空を見上げた。



数時間前の夕焼けが嘘のように、電線と民家の合間を縫うように夜の空が広がっていた。



全てを呑み込んでしまいそうな暗黒も、進は笑い飛ばしてしまえそうだった。



「…また助けてもらっちゃったな、大崎に」



幸せを何年分も貯蓄したような気分だった。その貯蓄した幸せの推進力で、進の足取りも軽かった。






「大崎ってだれ?」



話しかけられるまで、進は目の前に立っている女性の姿に気付かなかった。



肩にかかるくらいの黒髪、進より少し低い背丈、整った顔立ち。懐かしく、切ない思い出と共に、彼女は再び進の前に現れた。



「久しぶりじゃん、進」



「あ…」



市川藍の笑顔が、有華の笑顔をかき消すように進の脳内に広がっていった。



じわじわと、染み込んでいった。
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