スマイリー
「…と言うわけで、ここの問いの内容は、22行目のthere areから始まる一文を訳せばいい。アンダーラインでも引いとけ」


松野の授業は厳しいが、とても分かりやすい。たまに面白い冗談を言ったりもする。


問題を間違えても怒りはしないが、問題をやっていない生徒の命はない。


そんな不届きな生徒を見つけては、ノートを破り捨てたり、窓から放り投げたりする。寝ている生徒は立たせ、鉄拳が飛ぶこともしばしばだ。



ただ、理不尽な怒り方をしたことは一度もなく、意外にも生徒からの人気はそこそこある。



「ここの和訳は、単語の意味が分かればそう難しくないな。emigrantってどんな意味だ。相川」


前から2列目の廊下側に座っている男子生徒が顔をあげた。


「『移民』です」


「だな。特にここでの移民ってのはイギリスからアメリカに渡ってきた移民のことだ」



松野は該当箇所の英文を読みやすいブロック体ですらすらと黒板に書き綴ると、

emigrantという単語を黄色のチョークでまるく囲んで強調した。


「もう時間がないから、和訳は後で教科係に渡しておくぞ。あ、待てよ。最後の和訳は文法がやや複雑だからな。前島、訳せ」


「は、はいっ」


急に当てられて、進は弾かれたように立ち上がった。


「おいおい。別に立ってろなんて言ってないぞ。寝てたのか?最後の和訳だよ、和訳」


「あ、すみません」


松野が冗談っぽく言ったので、クラス内は笑いに包まれた。進も少し緊張がほぐれた。


「ええと、『世界的な人類学者のひとりである、ホフマン博士は、先住民族迫害の歴史的背景を抜きにして、アメリカの文化を語ることはできない、と述べた』」


「正解だ。よく訳せたな」


進は着席してから、相川の隣に座っている有華の方を見た。


視線に気付いたのか、有華はちらっと進の方を見た。が、すぐに黒板の方に向き直った。






その代わりに、机の下では有華の左手は、進に向かって小さくOKサインを送っていた。



有華の口元は穏やかに笑っていた。
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