風遥か
第一章
『沖田総司』
「おい、総司」
壬生に在る八木邸の、と或廊下。
まるで獣が咆哮を上げたような声が、八木邸の廊下で響いた。
縁側に腰をかけていたその青年は、ピクリと耳を動かすと、険しい表情をしてみせた。つい先程までは、膝に頬杖をつきながら、穏やかな顔で、桜をのんびりと眺めていたというのに。
ハァッ。
青年は溜め息を一つ、溢した。
このまま無視してしまおうと、青年は、再び桜の方へと目を向ける。
「おい、聞こえていないのか!」
どすどす、どすどす。
と。遠くから響く、偉そうなその音は、耳を澄ませてみれば聞こえてくる。
低く、鈍い足音の持ち主を、この青年は知っている。
「総司!」
「あー、もう! そんなに名を呼ばれずとも気付いていますよ。本当、土方先生は口煩いんだからさあ、厭になるよ」
青年基、沖田総司(おきた そうじ)は、わざとらしく唇を尖らせると、裸足のまま庭へと飛び降りた。
「待て、総司! 逃げるつもりか!?」
「逃げるだ何て失礼な。前川邸に戻るだけですよーだ」
たったかと独りでに走ってしまう沖田の奔放ぶりには、土方歳三(ひじかた としぞう)も頭を悩ませてしまうものがある。
元より。土方何かは、沖田に用があるから八木邸へ来たのだ。当の本人が逃げ出してしまっては、用も言えない。
「勇さんとこに行ったかな、アイツ」
チッと舌を打つ。
「自由だなあ、羨ましいよ」
土方は、庭の先に飛び回っている蝶々を沖田と重ね、ただただ苦笑した。