CHANCE 2 (後編) =Turbulence=
僕の名前は大西 智(おおにし さとる)。
今から25年前の事だ。
高校2年の夏に父が病気で亡くなった。
僕は生活費を稼ぐ為に、母に内緒で高校を自主退学して働き始めた。
16才のガキが働かせて貰える所なんて限られているから、好き嫌いなんか言ってられなかった。
死んだお父さんの友人が遣っている焼肉屋さんで、朝から晩まで焼肉網を洗うバイトを2年続けた。
18才になって、直ぐに車の免許を取って、網洗いから卒業して、今度は配達の方に回った。
そのお店は、焼肉弁当の配達もしていて、これが日々の売り上げの半分を占めているくらい、頻繁に注文の電話がかかって来るのだ。
ある日、バイトが休みの日、コンビニに置いてあるフリーペーパーの求人紙を見ていたら、
【楽器及び音響機材の運搬業務
普通免許のある方
毎日入れる人 急募
時給なら1時間1,000円 日当 応相談】
今の時給760円から抜け出したくて、俺は直ぐに電話した。
幸いまだ間に合ったので、直ぐに自分の原付バイクで新宿に在る、新星MUSICへとやってきた。
それが、僕と高(コ)社長の出会いだ。
●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○
3年後
ニュースターエキスプレスが、正式に会社としてスタートしたのは、社長がお金を持ってきた翌月の終わり頃である。
社長にお願いして、新星MUSICと同じ敷地内に、プレハブの2階建ての事務所を作らせて貰った。
1階を事務所、2階を母さんと僕の住居にして、今まで住んでいたアパートも引き払ってきた。
求人紙に広告を載せ、運転手や事務員を雇い入れ、2tトラックを2台と4tトラックを1台、中古を購入した。
最初は、社員が一丸となって営業を!
会社が出来ても、顧客がいなければあっという間に倒産して仕舞うのだから。
地道な努力が実を結び、駆け足で過ごした日々は、気が付けば22年!
チェーン店が120店舗と、新星グループの中でも3番目に稼いでいる。
やはり、一番稼いでいるのは新星MUSICと言う芸能プロダクションで、2番目が新星ファンドと言う投資会社だ。
25才で、新星MUSICの経理をしていた田井敬子って言う女性と出会った。
会社の経理について色々と相談しているうちに恋が芽生え、彼女にプロポーズした。
高社長が媒酌人になり、翌年に結婚した。
42才になった僕には、15才になった娘もいるが、母さんは2年前に父さんのいる天国へ行って仕舞った。
忙しくて気が付かなかったが、母さんは胃ガンだったのを隠して、ずっと会社を手伝ってくれてたのだ。
高(コ)社長が社葬にしてくれて、大勢の弔問客が母さんの為に集まってくれて、泣いてくれた。
高社長からは、新星グループからの独立も勧めてくれたが、僕は最後まで高社長に着いていく決心を新たにした。
今日は、その高社長の息子さんのチャンス坊っちゃんの引っ越し日だ。
チャンス坊っちゃんって言うと、なんか照れくさそうにするのだが、小さい頃からチャンス坊っちゃんって言ってたから、未だにそう呼んで仕舞うのだ。
本郷のマンションから、新宿人形町の一戸建てに引っ越しをして、婚約者のソナさんが大学を卒業されたら御結婚だと聴いている。
さて、チャンス坊っちゃんの為に私自ら出向くとしようか!