六天楼の宝珠〜亘娥編〜
「大丈夫ですよ。政務はいつもと変わらずこなされています。御気色悪(みけしきあ)しといえども人に当たる方ではありません。ただ周りの者も毎日見ていればわかるのでしょう。何も言わず、常に険悪な雰囲気を漂わせている位ですからお気になさらず」

「……嫌味に聞こえるのは気のせいかしら……」

 とはいえ、此処で折れるわけにはいかない理由もあった。

 第一ただ謝っただけでは、本当に自分が軟禁されそうな気がする。

 翠玉は思わずため息を付いた。

「何かお悩みでもあるのですか」

「あ、いえ。……問題は碩有様の事ではないの」

「はい。その様にお見受けしましたので」

 探る様な眼差しを向けた主人に阿坤はほんの少し苦笑を浮かべた。

「本当に他愛もない嫉妬の諍(いさか)いならば──奥様の事です、折れる事も造作もないでしょう。それが出来ないというからには、他に何か気まずい理由があるのではありませんか」

 翠玉は目を伏せると、すぐには答えず歩を進めた。

「……阿坤は私よりも、私の事がわかるのね……」

 ぼそりと呟く。急に沈んだ声音に、侍女は立ち止まり軽く両手を前に組んで頭を下げた。貴人に対する礼を取ったのだった。

「差し出口を申しました」

「いいのよ、怒ったわけじゃないの」

 彼女の家は小さいながらも老舗の商家だった。伝統を守り顧客の信頼も篤かったのだが、挑戦心を起こした父親の投機が失敗してからは転落の一途を辿る羽目となった。

 不幸とは続くもので、同じ年に近隣では疫(えやみ)が大流行しており、元々あまり身体が丈夫ではなかった母と、年若い弟を呆気なく彼岸へと連れ去ってしまった。
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