六天楼の宝珠〜亘娥編〜
 失意のあまり病みついた父を翠玉は必死に看病したが、命数を永らえる事は叶わなかった。──そして、後に残されたのは相当な額の借財。

 経営が安定していた頃に付き合いがあった者達は皆、傾きを知ると掌を返した如く付き合いを断ってきた。借金の返済に手を貸す者などましていず、孤立したまま亡くなった両親の最期は今でも脳裏から離れない。

 朔行の家も船を見捨てた側に名を連ねていた。そして口に出しはしなかったが、彼は自分の婚約者で、初恋の相手でもあったのだ。

──小さい頃から、この人と共に生きていくのだと思っていたのに。

 裏切られた衝撃は、戴剋の元に来るまでに捨てた筈だった。なのに、本人を目にすれば蘇る思い出を止めるのはやはり難しいもので。

 朔行が墓地を去った時、翠玉は己の何かが剥き出しになっているのを感じた。何かの拍子に決壊してしまいそうな醜い危うさを。

 夫にそんな姿を見られるのは抵抗があった。

 ましてやとても求めに応じられる様な気分ではなかったのだ。

──結局、決壊したのは碩有様に対してだったけれど。

 自分の様子こそ変であると、彼が気づいてくれずに激情のままに振舞われたのが悲しかった。それともこれは、翠玉の勝手なのだろうか?

 また一つ息を吐いたその時、目の前に阿坤が腕をかざしたのに気づいて彼女は顔を上げた。

「……奥方様。こちらはいけません、戻りましょう」

「え? あら、そういえば。此処……何の建物だったかしら」

 庭の探索に出始めても結構な月日が経つというのに、未だによくわからない楼閣が多い邸(やしき)である。

 建物自体はどれも似た造りをしているから、余計に始末に負えなかった。

 目の前のものも、六天楼や奏天楼と同じ様な七階建ての櫓(ろ)と、平建ての高殿を備えたもので、華頭窓(かとうまど)に唐破風(からはふ)も寸分違わぬ形の意匠だ。

 紅い柱に褐色の甍(いらか)、ただ庭に面した雨戸が全く開け放たれていないので使われているかそうでないかが判別しがたい。

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