六天楼の宝珠〜亘娥編〜
「此処は許可なく立ち入るのを禁止されております。御館様でもおいでになれない場所ですから、見咎められては厄介です。お早く」

「せ、碩有様でも? 一体何の建物なの」

 緊張感のみなぎる常にない様子に翠玉は驚いた。

 しかも当主でさえも入れない場所があるというのは初耳だ。

「詳しくはわたくしも存じません。お戻りになりましたら、槐苑様にでもお聞きになられては如何(いかが)でしょう」

「え、ええ……」

 呼ばれなくても来るであろう、西の邸のご意見番の老女の顔を思い浮かべて彼女は少し憮然とした。まあ珍しく役に立つ事を教えてくれると良いのだが──
 はっきり言って、槐苑があまり心楽しい情報をもたらした事はなかった。

──聞くのは良いけれど、またこの上何か問題が起きる様な気がする……。

 散策から帰ると、予想通りに槐苑がこめかみに怒りの筋を立てて待ち構えていた。

「奥方様! 御館様と仲違いされたというのは真(まこと)でございますか?」

「……流石、話がお早くていらっしゃいますのね」

「やはりそうなのですか。何たる愚挙! 何たる無礼っ」

 走ってでも来たのか、肩で息をし髪を珍しくも乱している老女にとりあえず翠玉は椅子を勧めた。

 音もなく現れた紗甫から水の杯を受け取り飲み干すと、槐苑は更にまくしたてる。

「悪い事は申しません、一刻も早く謝罪なさいませ。この際どちらに非があるかなど、お目を瞑りなさいませ!」

 あえて尊大に扇で顔を防ぐ様にかざして、翠玉は如何にもうんざりといった風情を見せる。すると老婆は大仰な溜息をついた。
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