六天楼の宝珠〜亘娥編〜
「ただでさえ御館様は季鴬(きおう)様に似ておいでの所がおありじゃ。軽くお考えになっていては、今に取り返しの付かない事になりかねませぬぞ」

「季鴬様? 何方(どなた)ですか」

 聞いた事がない名前だった。確か碩有の父親は慎文(しんぶん)と言った筈だ。以前に本人からそう聞いていた。

「……何と。奥方様は、季鴬様について御館様からお聞きではないのですか?」

「え? ええ。聞いた事がないけど」

 ふうむ、と彼女は険しい顔をして何やらぶつぶつと呟き始めた。

「あの。一体誰なのですか? そんな風にされると気になってしまいます」

「詳しくは御館様からお聞きになるが宜しゅうございます。さっさと仲直りしてですな。子宝が未だと申しますのに、このままではますます遠ざかるというものです」

 既に充分苛立っていた翠玉は、槐苑を追い出したい衝動を何とか堪えて重ねて聞いた。

「槐苑様ならこの館の内で知らない事などないのでしょう? 勿体ぶらずに教えて頂いてもいいじゃありませんか。知らなければ、間違って出会ってしまった時に無礼を働くかもしれませんもの」

「間違って? そんな事、天地が返ってもありはせんですぞ」

 搦手(からめて)作戦とばかりに優しく言ってみたにも関わらず、老婆の反応は小面憎いものだった。

「季鴬様はこの二十年余り、鉦柏楼から一度も外に出た事がないというのに出会うわけが──」

「鉦柏楼……もしかしてそれって、北東にある離れた建物の事ですか?」
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