六天楼の宝珠〜亘娥編〜
「……無理などしていない」

 碩有は溜息混じりに力なく答える。

「私に出来る事は、今のところこれしかない。だからそうしているだけだ」

「領主があまり働き過ぎると、部下の仕事を奪います」

 素っ気無く言い放った朗世に苦笑して、彼は持っていた印璽(いんじ)をようやく印座に戻した。

 真っ直ぐに下ろしていた両脚を組んで、繻子張りの椅子の背もたれに上体をもたれかける。肘掛けに腕を投げ出し、くつろいだ姿勢で隣の席を振り返った。

「お前の家族は、変わらず息災なのか? 最近話を聞かないが」

 突然の自身への話題変えに、朗世はやや鼻白む気配を見せた。あまり触れて欲しくない話題だったからだ。

 領主の片腕と名高いこの青年は、洛庁の高官を輩出して来た結構な上流家庭の出自だった。父親もまたかなりの役職まで昇ったが、人格者故か息子が奏天楼に入ると同時に「閥を作るに能(あた)わず」と隠遁し、郊外で妻子ともども静かに暮らしているという。

「お蔭様で、息災でございます。祖父は大分耳が遠くなったそうで、声が大きくて周りは難儀していると。その程度の便りしか来ません」

「常々不思議だったが……どうしてあの絵に描いた様な仲良し家族から、お前の様な息子が出来上がったのだろうな」

 朗世はぴくりと片眉を上げる。

「あまりお褒め頂いているとは聞こえませんが、意図をお知らせ頂けますか」

「いやいや、褒めているのだよ。何にせよ、家族というものは良いものなのだろうな。翠玉を見ているとつくづく思った」

 つい先日すげなく扱われたはずなのに、何を思い出したのか碩有の表情は柔らかく和んだ。

「墓参りに行った時、墓石に向かって色々と語っていたのだが……仲の良い親子だったというのが伝わって来た。私はそういうものを知らないのでな、お前ならわかるだろうと思って」
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