六天楼の宝珠〜亘娥編〜
 首元には幅のある紐が、これまた独特の形で結ばれていた。衣服は上下に分かれており、下はやたらと細長い袴のようなものを履いているから、持ち主の足の長さが妙に強調されて見えるのだった。

 翠玉はもう見慣れてしまったが、初めて夫の──碩有の──この服装を見た時は、変わった格好だと驚いたものである。

 一度だけ戴剋に背広について聞いた事があったが、「儂はああいう堅苦しいものは好かぬ」と言いながらも、由来を教えてくれた。数十年前辺りに異国より渡って以来、貴人が礼装として使用するものだという。

 機械仕掛けの『車』もそうだが、非常に手に入りにくい為、庶民でこれらのものを持つ事は難しいという。確かに陶家に来るまでは、彼女自身車も見た事などなかった。

 いつの間にか自分がここまでにじり寄っていたと気づいて、翠玉は顔を赤らめた。

「あ、ごめんなさい。つい夢中になってしまって」

 とは言いつつも、声の弾んだ調子は押さえようもない。

「いえ、あまりに貴方が楽しそうなものですから」

 碩有は不機嫌そうには見えなかった。それどころかいつもの──そう思うのは彼女だけなのかもしれないが──氷さえも溶かしそうな、甘い笑みを浮かべた。

「そんな顔が見れただけでも、付いてきて良かったと思いました」

 こればかりは時が経っても慣れそうにないと必死に平静を装いつつ、翠玉は本来の目的を思い出して居住まいを正した。改めて夫に向き直る。

 両手を膝の上に揃えて頭を下げた。

「どうしたのですか、急に」

「この度は、外出を許可下さいまして、本当にありがとうございました」

 領主の妻は通常、夫が生きている間には六天楼を出る事は叶わない。

 それは戴剋の側室として邸に入った時に、槐苑や侍女達に宣言されていた決まりだった。

 貴人の妻妾はその資産とみなされるのが当たり前のこの地方であるから、当然かつてはしばしば争いを呼んだという。

 ましてや事が広大な領土を統べる者の話になると、単なる欲得には留まらない。戦いの火種となった史実さえある。奪うなら高貴なものを──と考える人間は領土の内外に存在するらしかった。
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